自分的に、”悪意”に触れないわけにはいかないような気がして。


私もかなり悪意がある人間だと思う。
(もちろん、具体的に悪意を込めた行動をするかどうかは別です。)
でも、自分で言うのはなんですが妙に純粋な人間である気もするし、
情け深いところもあるけれど...
(情けをかけたいと思う部分が、多数の人と違う場合はけっこうある)。
この悪意は、世の中と戦っていくために得てきたものなのか?
いや、単純に自分の身(なけなしのプライド)を守るため、の方が近いかも。
それに、自分はクリエイタータイプではなくて批評家タイプだと思うので、
自分にはできない(ない)ことととかを認めたうえでですが、
人の悪いところが多く見えてしまうので
(これは単純に性格がわるいんでしょうか)、
悪く見えてしまったものに対しては、やっぱり悪意をもってかまえてしまう。
でも、そういう悪意のある自分を、
決していいものだと思っているわけではないです。
きれいな目でものごとを見られる人の方が優れているんだろうなあ、と
思ってもいます。

・・・
こういうことをぐだぐだ考えたり書いたりしていると、
そういう自分を、ばかみたい、と思ったりするわけですが、
そんなふうに思うことがまた、自意識が過剰で子どもっぽいとも思う。
書きたければ書けばいいし、嫌だと思えばやめればいいのだ。
”自分がみっともない”とか、自分の内部にばかり目を向けている間に
具体的な何かをし始めるとか、
現実に起こっていることに目を向けるとか、すればいい。
やった方がいいことはいっぱいあるじゃんね。ていうか、あるんです。