やや衝動的に書いたので、後で消すかもしれない。



数ヶ月ぶりに母と会う。
いい歳の娘に、まだ、こういうふうに生きろ、みたいなことを言う。
「もうこんな年なんだから、好きに生きていいじゃん」(自分にも言っている)、
「いいの、これでいいと思ってるんだから」(実はそう思えないから問題なんだけど)、
と言い返すと、
「そういう、自分に自信もってるところがダメだわ」と言う。
心の中で、もってねーよ、と言い返す。
が、それは強がりで、ただ、嫌な気分だった。たぶん微妙に顔が歪んでいた。
”これでいいじゃん”、”このままでいいじゃん”というようなことを言うといつも、
そういう、自分に自信があるところがダメなんだ、と、よく母に言われていた。
その言葉は、そのとき自信をもっていると言うことがいけない、ということと、
その状態で自信をもつ資格はない、と、それまでの在り方全体が否定されたことでもある。


”このままでいいんだよ”、”それでいいんだよ”、っていう、
よく聞く自分肯定のキーワードは、気持ち悪くさえあるこの頃だけど、
母とのその会話で、予想外にひどく嫌な気持ちになったのは事実。
そういう気分をはっきり自覚できなかった頃は、知らずに歪んでいたのかも、と思う。


直す、変わる必要がないなんてことはないし、
そういうところを人に言われるのを拒むのは心がせまいとも思う。
でも、自意識のある相手に、
ひとつひとつの行為に対しての忠告でない、在り方(生き方)全体を否定するようなことは
言わない方がよいと思った。
今の在り方だけでなく別の在り方もあるよ、と提示するくらいでよいのではないか。
...この部分に関しては、うまく、よく考えられていないので、
考え直したり、違う言葉で言う必要が出てくることがあると思う。
ただ、今日の母への反発を、今日のところの言葉で表したかった。


しかし、母を嫌いとかいうつもりはない。
というか、好きなところもあるし、嫌いなところもある。
今は、認めているところも尊敬できるところも、感謝しているところもたくさんあるが、
尊敬できないところも、大嫌いなところもある。
以前は、親のことは好きでなくてはいけない、嫌いなところなんてあってはいけないような気がしていた。
他の人に対しても、好きな人、嫌いな人、としか分けられなかったと思う。
でも、一人の人にそういう一方向な思いしかないなんて陰影のないことがあるだろうか、と今は思う。


そういうふうに思えるようになったのは、
ある女性が、はじめはただ普通に父親のことが好きだった、
でも、実は子どもの頃にその父にひどいことをされたことを思い出し悲嘆し、怒った、
でも、それでも、やっぱり父のことが好きだった、
と語ったのを聞いてからだ。
一人の人が、一人の人に対して、そういうさまざまな気持ちを抱えている、
そういう陰影があるのが人生なのか、と、
その時は整理できなかったが、聞いたときに感じたように思う。


今の、母に対しての自分の気持ちは、まさにそういうこと(そんなに重くはないけど)。
でも、今の私は大人だし、そういう気分を自覚できていれば、
母とうまく関係を続けることの方が、今の自分にはストレスレスな生活を送れるので、
なんとなく、かわした。