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一人の赤ちゃんが生まれたこと以外、何がめでたいのかわかりませんが。


昨日の日記の話の続き。
よく考えたら、田中くんて、実はもう”ずっと年下”ではなくなっている。
33歳くらいだと思うのだが、どうも、私の中では、ずっと27〜8歳のイメージがある。

私が好きになるアーティストは、それを後から知ることが多いのだが、
どうも、実父とは縁が薄いというか、あまりいい思いをしていないような人が多い。
昨日挙げた、Julian も、田中くんも、吉井さんもそうだ。
こじつけっぽいというか、自分でこじつけたいのかもしれないが、
そういうところに、何か自分と共通点があるような、だから惹かれるのかもしれない、とか思う。
(それぞれの事情は、もちろんちがうけれど。)

それ↑は前に気づいたことなのだけれど、
今日あった出来事で、「父」というものについて感じることがあったので、
ちょうど繋がるような感じがして、続き、ということにした。

今日、今の職場の尊敬している上司の言葉に、父のようなものを感じて、
とても満たされたような気持ちになった。


会社を設立したその上司は、一度現場を引退して、後任に任せたが、理事として戻ってきた。
今、私の職場では、あることを始めるかどうか、それが現状でできるかどうか、
そういうことでもめていて、ごたごたが起こりかけている。
それは、後任の経営者が、はっきりとした目的を持っていなかったり、
大切な決定から逃げていたり、逆に独善的に過ぎたりしているからなのだが、
やはり、誰も、なかなか意見を言える状況でもなく、無駄な会議とかが多くなっていた。
今日は、ひさびさに、会議に、理事に戻った私の尊敬する上司が出てきていた。
その上司は、社員に、今会社がやろうとしていることの目的をはっきりと語り、
また、後任の経営者に向けるようなかたちで、
社員はいろいろなものを要求する、それが仕事のようなものだ、
何かをするにはいろいろな考えがあり、意見の対立もある、それもあたりまえのことだ、
それを踏まえたうえで、経営者は、決定をし、そのことに責任をもつ、それが仕事だ、
というようなことを言った。
細かいことは書きたくないので、なかなか上の説明で状況は伝わらないかもしれないが、
経営者が目的をはっきり持った上で、いろいろな意見があることも踏まえた上で、
決定をし、それに責任をもつというなら、その目的に納得ができれば、
社員としては、多少大変なことでも、やっていこうという気になった。


そういう言葉が自分にすごく染みたのは、そういう態度は、自分が父に求めていたことで、
それを今その人にもらえたことを、すごくありがたく思えたからだ。
そういう意思に包まれているような安心感のようなものが、
すごく自分を充たしてくれたような感じをもてた。


...わかりにくい内容だと思うのだが、こういう気分になることはあまりないので、記録した。
説明不足と思ったり書かない方がよいと思ったら、あとで追加または修正、削除するつもり。