仕事納めをし、買い物をして家に帰りTVをつけると、
録画していた吉井さん@武道館2日めの、「恋の花」が始まるところだった。
生のライブが終わるまでの間、洗濯をしたり、ご飯を食べたり、
明日はうちで友だちとStro...三昧の一日を過ごす予定なので、シチューを作ったりしていたのだが、
録画を初めから見出したら、やることがたくさんあるのに、やっぱり見入ってしまっていた。
昨日の生を見た後の感想では、その曲で、ただ泣けた、というふうに書いたが、
今日、録画を見ていて興奮してきたのは、ジャケットを脱いでシャツ姿になった、「Spark」からだった。
もう、吉井さんは、艶っぽく、めちゃめちゃ輝いてました。
YMを好きだった頃は、(歌謡曲ぽくて軽いような感じがして)この曲をとくに好きということはなかったが、
聴きながら考えたのは、吉井さんは、こういう曲を演っているのがすごく似合う、すごくカッコよく見える、
歌もカッコよく聴こえるんじゃないか、ということだった。少なくとも、私はそう感じる。
そして、吉井さんが世間的にも認められるようなものをつくり出して開花し、YMも売れて、
キラキラし出したパワーがほんとにspark!するような感じがする曲だと思う。
(その辺の時代感覚は間違ってるかもしれないです、遅咲きなファンなんで。)


28日という日はやはり吉井さんには特別な日のようで、どんどん気持ちが高まっていっている感じだった。
「ジャム」までやっちゃうしな。
「ジギー・スターダスト」を唄っているときはほんとに楽しそうだった。
「バラ色の日々」や「パール」の感極まる感じは、最後の頃のツアーの気持ちの高まりを思い出し、
YM(の頃の楽しさや感動)が戻ってきた!、みたいな感じもあった。
普通なら、(かなり歳を取ってからの再結成でもなければ)解散されたらもう味わえないものを、
また、短い間に華やかな舞台の上で本人もファンも味わえるというのは、
本人にそういう力があるからできたことだし、めったにないラッキーなことだと思う。
ただ、吉井ソロになってから好きになった人は、どういう感じで見ているんだろう?とか、ちょっと思う。
ロビンソンになって、吉井〜になって、YMへの遠慮とかこだわりとかが取れて、
また好きなものをやりたいときにやれるようになって、というのはいいと思うけれど、
今は、けっしてYMの頃の吉井さんやその頃の楽しさが戻ってきたのではないのだから、
今のソロの吉井さんであることを楽しみたいし、期待したい、と思う。
記憶に触れる心地よさとかうれしさが大きくなると、それがぐちゃぐちゃになってしまう感じがする。
昨日のライブも今日の中継もとても感じ入るものがあったが、
昨日から、どうしても、新しい吉井さんのソロとしてのライブの楽しさを味わえたのは、
前回のツアーの方だったような気がして、考えたことです。
ただ、今までひっかかりがあってできなかったことを思うようにやって(やってもらって)、
そのひっかかりを消化している時が今のような気もします。
先もちゃんと道が開けていて、その前にそういう消化をできる機会があるのは、
やっぱりすごく力があるからできることで、ラッキーでもある、と思う。(そうだとして。)


...冷めているようで、やっぱりいろいろ考えさせられてしまう...、
そんな、私にとっての吉井さんなのであった。(練った考えでないのでつづきありかも。)