10月に入り、Radio〜ウィーク。さいたまとフォーラム、一日ずつしか行かないけれど。
 Bjorkや、いくつかのバンドとともに、Radio〜も、普段はあまり聴かないが、
 ライブではすごく気持ちが動かされるアーティストのひとつ、だと思う。
 大阪のセットリストを見て気持ちが高まってきて、Kid〜以降のアルバムを聴いていた。
 以前の泣けて踊れる感じのライブの感覚を思い出し、すごく期待が高まっていた。
 そして、5日のさいたまの後は、ずっと聴いている。 極端。単純。
 
 ライブの感想は、最近はあまり書けない。何故だろう?
 あまり気が進まないことをしようとすると、ああ眠りたい、って思う。
 何かしら記録には残したい、気持ちをまとめたい気はするので、感じたことだけを。

 
 最近は、やっぱり、ライブに集中できなくなってきている気がします。
 バインのライブ後に考えたのだけれど、やっぱり、みんなすごくよかったと言っているし、
 あまり感動しないのは自分の問題なんだろうなあと思う(よかったはよかったですけど)。
 たぶん、その曲その曲への自分の期待が、ある方向やある形に出来上がりすぎていて、
 それに現実が沿わないから、何か足りないような感じをもってしまうのかもしれない。
 もちろん、沿わないのはあたりまえだ。
 誰もが違うように期待するものがあり、違うように聴き、感じているのだと思うが、 
 ただ、今の私の場合は、期待する私のつくった形が、固すぎるのだと思う。
 眼前にあるものを、そのままに受け止めることができていないんだと思う。

 Radio〜の時も、自分的に高まってきたな、と思ったら、もう本編最後の3曲くらいだった。
 アンコールが2回あって、8曲くらいあったからよかったものの。
 それでも自分的によかったのは、15steps、Airbag、Just、Pyramid song、Knives out、
 Idioteque、Fake plastic〜、Bodysnatcher、My iron tung、など。
 Tomの声が音にのっているから、Radio〜の音なんだよなあ、と思うことがよくあった。
 そう、私も、あなたのように踊りたいのよ、とか、
 ほんとにこの人は、いい歳の重ね方をしてるのが見た目にちゃんと出ているよな、
 いいな、とか思っていた。
 
 そして、家に帰り、フォーラムもあるので、また、Radio〜を何枚か聴いていたら、
 なんだかすごく、哀しいような、聴いているのがけっこう辛い感じになった。
 CDで聴いていると、そこでは、ある世界が出来上がっているように思う。
 ライブの生き生きしたところがない分、何か哀しい、静かな止まった世界を感じてしまう。
 ある曲で、ふと、胸の前方のあたりに小さな穴ができて、その点で目が止まってしまい、
 そこに自分が入っていってしまうような、その穴と自分が同化していってしまうような、
 そんな感じになった。その後は、Radio〜ばかり聴いている。
 ずっと、妙にライブの余韻のようなものが顔を覗かせてくる感じもあり、
 何故か、ちょっと気持ちがざわついてきたり、切なくなったりする。
 いつもの落ちている感じとは違い、ただ落ちているのではなく、何かが胸にあり、
 それを抑えないで出せたら、というような感じがある。切実にではないが。
 Radio〜は、好き、というより、こういうふうだから、たぶん、日常的に聴かないんだな。

 
 5日、さいたまで、スタンドまで埋まった会場を眺めながら、
 Radio〜好きな人ってこんなにいるんだな...と、ちょっと懐疑的に思ったりしていましたが、
 自分もその中の一人です。誰がどんなふうにどのくらい好きかなんて、わからない。
 こんな気分をもって行かず、あまり期待しすぎずに、フォーラムでは聴きたい。無理か。
 やってほしい曲がたくさんある。踊りたい系が多いかも。
 I might be wrong、Knives out、My iron tung、Sit down, stand up、
 Where I end and you begin、Myxomatosis、2 + 2 = 5、
 15steps、Bodysnatcher、National anthem、Idioteque など(5日聴いたのもある)。
 何故か、O.K.〜は、ベタに Paranoid android、Karma police、No Suprises。

 
 今さらですが、これも↓改めてよいと思う。 

Hail to the Thief

Hail to the Thief