・Antony And The Ohnos @草月ホール 2/12
 ROのサイトのライブレポートがとても詳しいので、感じたことのみ。
 
 出てきたAntonyを観て思ったのは、Antony〜は(勝手に解釈して申し訳ないが)
 見た目からもきっと普通には生きにくい人なんだろうなということ。
 それでもより生きやすく行き着いたところが今のようだとしたら、何というのか
 ...ほんとにそれでいいんだろう、というような感じがして、その時のその空間が
 すごく柔らかく許容範囲のある空間のような感触がしてきた。

 
 始めのJohannaさんたち?はすごく美しかったが、まあ私的にはああいう世界もある
 よなあ、というくらいだったが、大野氏のパフォーマンスは、暗いもの好きな
 ところがあれば惹かれるようなあの狂っている感じ、おどろおどろしい感じが
 やはりすごい存在感があったし、白塗りに白い衣装や小道具類、刻むような動き、
 表情など、見入ってしまうところがあった。
 後ろの席の人が時々ぷっ、と吹き出しそうにしていたのがはじめ少し気になった
 のだけれど、そのうち、こういう笑いもありだな...と思うようになった。
 狂気と紙一重のような動きなのだから、可笑しくないことはない。
 紋付を羽織ってかざぐるまを持って走り回ったら、可笑しくないことはない。
 というか、実は(少なくともパフォーマンスに関することに入ると)あの人は
 狂っているのかもしれない。どこからが正常なのかよくわからない。
 とりあえず衣装や小道具が安っぽくなく美しかったし、私はけっこう好きだった。
 でも、途中に流れた集団が出ていたフィルムはあまり好きじゃない...というか。
 全く何も知らないので言いたいことだけ言いますが、大野氏のような感じに憧れて
 同じようなことをやっていたのだと思いますが、センスが(洋服とか表情とか)...
 経験の積み重ねの問題かもしれませんが、大野氏と全然違うというか、アングラ
 ぽいのが好きな人たちの世界にはよくあるような感じがして、大野氏だけのものに
 して欲しかった気がしてしまいました。


 Antonyが出てきてからの声の世界は、私はなんというか固まってしまっていた。  
 息以外は動けない感じ。涙が出ても流れるまま。周りももちろん拍手もしない。
 ふるえるような揺らぐような、でも圧倒的な力のある膨らみのある豊かな声の世界が、
 動くのも忘れてしまうような空気をつくっていた。
 声の震えがこちらの身体に伝わる、届いているような感じがした。
 
 途中の2〜3曲はほんとに涙が流れっ放しで、何か哀しい世界ではあるんだけれども、
 すごくありきたりのような言い方だが、何かに包まれているような
 自分の存在が許容されているような感触があって、ちょっと浄化されているような
 気になった。このところ気分は落ちていたけれど泣けなかったのが、ざっ、と
 泣かせてもらったような感じだった。


 それと、Johnsonsの人の伴奏がとてもちょうどよかった。バイオリン、ギターの
 音、声が、Antonyの声をじゃましないような、ちょうどよく細く存在する感じの
 音で(バイオリンが妙に感傷的な存在感のある音だったりすると興ざめだった)、
 あの世界からはみ出していかずに安心して聴いていられた。 
 

ザ・クライング・ライト

ザ・クライング・ライト

 


 最近買った新譜は、Album Leaf、Spoon、Charlotte G.、Soft Pack、
 Massive AttackFour TetJaga Jazzistなど。まだほとんど聴いていませんが。