休みの日は、出かけないと思えばいくらでも家にいられるので、
うつっぽくならないためにも、なるべく陽に当たり、身体を動かそうと、歩いて買い物に行く。
まあ、食べ物や日用品を買うという目的もあるけれど。
出かけると、スーパーの近くのお気に入りの喫茶店で、本を読みながらお茶を飲む。
こういう時間がとても好きなのだけれど、反面、ずっと休みのたびにこうしていくのか、
こういう繰り返しが延々と続くのか、と考えると、なんだかとっても気分が落ちてくる。
それでも、まだ自分はいいのだ。自分で自分の動きを決められるし、
この暮らし方を変えようと思えば、(ほぼ)自分ひとりのことを考えて決めればいいから。
と、思う。

ぼおーっと、買い物をする家族などを見ていると、あまり幸せそうでない人もいる、ように思う。
こんなふうに...決まった月額の中で、決まったように、毎日(回)、同じような日常の買い物を繰り返し、
繰り返し、暮らして行くのか?、と思っているよう見える。
そんな暗い想像は、自分の、イメージに過ぎないのか?
私は、(とくに)夫婦で、家族で、永く暮らしていくことに幸せなイメージをもてないので、
そういうふうに見えてしまうだけなのか?
それは自分の見方が正しいように思う傲慢さから来るのかもしれない。
私は飽きっぽいから、永く続くことがよくなく思えるからなのかもしれない
(物事に飽きっぽい性格になるDNAがあるということが検証されているようなので、
 それを知って、それはまあしかたないと思うことにはしたが)。
だいたい、こうしていられることが幸せで、それさえできなくなることだってあるかもしれない。
でも、やっぱり、私は、安定して永く家族で暮らす、というかたちで自分が幸せになれるとは、
少なくとも今は思えない。
この考え方、破綻があるかもしれない。つっこみどころが。
書いたら少し自分でもわかるかな??、ということで、書いてみた。
うつっぽくならないように、って出かけてこれでは、だめじゃんね。