このところ、自分的に、YMについてちょっと考えていたこと。
YMうつ、というのが、自分にはあるように思う。
25日武道館のあと、アルバム「Humming〜」を繰り返し聴いていて、特に1曲目を聴くと
ど〜んよりと目線が彷徨ってしまうような感じになってしまって、
すごーく寂しいような、すごく現実逃避してしまいたくて仕方ないような感じが強くなってしまった。
曲になのか、吉井さんを思ってなのか、YM好きだった頃のことを思い出してなのか、わからない。
でも、こういうことは以前にもあった。
YMが解散を発表し、ドームで解散イベントをやった時。
やっぱり一応ね、と、そのイベントに行くことにはしたし、3枚組みのベストアルバムも買っていたが、
その頃はもうすっかり洋楽モードになっていて、全くYMを聴くこともなくなっていたので、
YMライブをきっかけに知り合った友だちと、軽い気持ちで行ったのだった。
でも、ドームに行くと、思いっきりYMの曲が流れまくり、最後のライブの映像も流れていて、
それを聴いているだけで何故か泣けてきてしまって、なんかやばいな〜という感じだった。
メンバーが出てきて「JAM」をやった時も、なんかよくわからない気持ちながらも、思わず泣いた。
でも、グッズなんかは全く興味がなくて買わなかったし、
ファンクラブに入っていた人向けに最後の記念品というものをもらったが、
帰りに寄ったトイレに忘れてきてしまい、あーあと思ったが、結局今の自分の思い入れって
そんなもんだからなのかもな、と思ってそんなに残念でもなかった(たいしたものでなかったのもある)。
でも、帰った後に、YMのCDを聴き出して、やっぱりすごく寂しいような、すごくうつっぽい感じになった。
その頃メールをやりとりしていた人に、すごいセンチメンタルなメールを送ってしまったりしていた。


もともとYMを好きになる人は、うつっぽいような人、傍から見てちょっとイタイような人(定義は曖昧)
が多かったと思う。私も、好きになったきっかけとか時期とか考えてもそうだと思うし、
そういうふうに自分でわかっている人も多いと思う。
まあ今はそんなに好きではないし、以前より自分もイタくはないとは思うけれど、そういう素養はある。
以前、〜JAPANに、そんなYM好きの代表のような人からの、
すさまじい思い入れや妄想のようなものを綴った投稿があったりして、これはイタ過ぎる、と思いながら、
まあ自分でも全く理解できなくはない、ここまで書ければ妄想でもイタくても素晴らしい、と思ったくらい。
その頃は、邦楽ではSupercarとかくるりとかが新しい音楽と絶賛されていて、スヌ...なんかでは、
YMはダサい音楽の代表みたいになっていたし、ビーク○とかにものすごくバカにされたりしていた。
でも、すごく思い入れ度の強い人が多い音楽というのは、音楽の質ということではわからないけれど、
とにかくなんらかの力はある音楽なんだと、その時も思ったし、今も思う。
正直言って、今は私自身も、吉井さんの音楽がすごくセンスがいいとか掛け値なしにいいとか、
思っているわけではないけれど、聴くと、やっぱり惹かれてしまうものがある。
それはやっぱり、吉井さんの曲はうつっぽい人とかイタイ人が好きになる音楽だからなんじゃないかと
(全部がそうではないと思うし、ソロになってからはちょっと違って来ているとも)思うのだけれど、
素養もあるけれど、聴いていると、さらにそこにハマっていってしまうんではないかとも思う。
今回、あーなんか私、↓モードにはまってる...、と気がついて、聴くのをやめたら、ちょっと脱した。
ほんとにハマっている時は、たぶんYM(吉井さん)好きな人は、エンドレスで、他は聴かない、
という人が多いんじゃないかと思うけど、たぶん、それは、やめられないんだと思う。
嫌なことを何度も思い出してそれで流せるようになっていく力がついてくる、みたいなものか...?
でも、繰り返すけれど、今の吉井さんは、違うタイプにもアピールできる前向きさがいっぱいある。


12月に「バッカ」を新曲として出すけれど、アルバム持っている人は買わなくていいとか、
カップリングを米まで行って録ったり、PVをつくったりで赤字になりそうだけれど、
お金は困らないだけあればいい、自分がやりたいことをやる、と、武道館で言っていた。
(まあ吉井ファンはそう言われると余計に買うだろうし、困らないレベルというものが違うとも思うけど。)
そして、今まで様々な人を想定しその人に向けて(負けないようにとか思って)音楽を作ってきたけれど、
今は、自分の敵は自分の中にだけある、と、とても淡々と言っていた。
茶化すでもなく、はったりっぽくもなく、力んでいるようでもなく。
それは、今までもよく言われてきているような言葉だと思うけれど、
私は、聞いていて、今までのどの曲が誰に向けて作ったか想像できるものもあるせいか、
聞いていて、ああ、今はそれが済んで、向かうものが自分になったのね、と思えた。
(それをやっつける、と言っていたので、そんなにシャカ力になることはないよ、と思ったけれど。)
たぶん、今の吉井さんは、何かを考える時、行動する時、まわりの誰がどう思うかとかではなく、
自分の力が及ばない神のようなものの力と、自分の中の敵のことだけ考えているんだと思う。
だから、これまでしがらみを考えできなかったようなことをしていたりするのだと思う。
Oasisnのカバー「Don't look back...」につけた自作の歌詞にも、
そういう縛りや力みのない前向きさがあったように思う。


なんで今、こんなふうに吉井さんのことを考えているのか、自分でもわからない。
でも、25日の武道館の吉井さんには、私をそういうふうにさせるような力があったのかもしれない
(その日は、カッコいいだけで充分、とか書いていたけれど)。
よく、一人のアーティストのことでそれだけ考えられるな...と、退かれそうなのはわかっているけれど
(というように考えるのは被害的か?)、
イタかろうがなんだろうが、現実の人より、私にとってはいろいろ考える素材やきっかけをくれる人だ。
そんな程度の、現実との関りが小さい自分の生活は問題だとは思っているけれど、
毎日仕事へ行って、日々自力で暮らしているんだから、それだけで許して、と自分に思う
(そういう問題ではない)。